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父の病気GISTと、認知症と、別れ~その3

お腹の中まで見せられてびっくり。

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GISTの切除手術ですが、手術前に「すべて取りきるのは難しいかもしれません」と言われていたんですね。その時に、「手術室へ入っていただくかもしれません」とも。
 
何でやろう?と思いながらも、指示された部屋で、母と一緒に待機していました。

 

手術が始まって1時間か2時間程経った頃だったと思います。看護師さんが呼びに来たんです。「手術室へどうぞ」と。
 
初めてのことで、恐る恐る言われるがままに手術室へ。ものすごい殺菌とかされるのかと思いきや、何も指示はなく、手術着(?)を着て、マスクを付けたぐらいで、「どうぞ」と言われ、拍子抜けしました。
 
なぜ手術室にまで入って、父の開いたお腹の中を見せられたかというと、GISTの腫瘍が大きすぎて(多すぎて)すべて取りきれないということを、実際に家族に見せて納得してもらおう、ということだったようです。
 
こちらは素人ですから、「いやいや、全部きれいに取ってくださいよ」なんて言えるわけもなく、説明に頷くしかありません。だからと言って、お医者さんや手術に不満があるとかいうわけでもなく、ただただ「仕方ないやんな…」という気持ちでした。
 
その後、また待機の部屋へもどり、またしばらく待つと(手術自体は3時間か4時間ぐらいかかったと思います。ちょっと記憶が怪しいですが)、主治医に別の部屋へ呼ばれ、取り出した腫瘍を見せられました。
 
母の大腸癌の時も、取った腫瘍を見せられて説明を受けているので、そこは驚きませんでしたが、びっくりしたのは、父の腫瘍の大きさ。2キロ強も取れたそうです。それでも、まだすべて取りきれていないということでした。
 
すべての腫瘍を取りきることはできなかったものの、手術は成功で、父はめきめき回復していきました。術後のリハビリのため、病院内を一生懸命歩き周り、痛いとか辛いとか、愚痴はひとつもこぼさず…本当にハートが強い父でした。
 
 

退院後の抗がん剤治療

 
術後の経過も順調で、無事に退院となったのですが、そこから終わりのない「抗がん剤」服用が始まりました。グリベックという薬を毎日のまなければならなかったのですが、その副作用で顔から足までひどくむくんでしまいました。
 
それでも一切弱気な発言をすることもなく、「大丈夫、大丈夫」と言って服用していました。本当に、本当に尊敬します。私だったら毎日何かとグチグチ言ってしまいそうな状況なのに…。
 
また、抗がん剤だけでなく、毎日自宅で血糖値を測らなければなりませんでした。最初は毎日3回、落ち着いてきたら2回、1回と回数は減っていきました。
 
血糖値の測定には、特殊な機械を購入しなければなりませんでした。指先から血を出すために刺す針の処理だったり、機械に挿入するチップ(?)が無くなる度に購入に行ったり、母にとってもかなり疲れる作業だったようです。
 
通院も大変でした。バスを2本乗り継いでいかなければならなりません。それでも、通院の頻度も日を追うごとに少なくなっていき、血糖値もどんどん安定していき、最終的には血糖値の測定は必要なくなり、通院は月に1度に減りました。
 
取りきれなかったGISTの成長を抗がん剤で抑えているので、抗がん剤服用に関しては、終わりはありません。それは、もう父も家族もわかっていました。顔や足のむくみは相変わらずひどかったのですが、退院から数か月後には、元気に生活できるようになっていました。
 
 

2年後、突然飲むことができなくなったグリベック

 
退院後は、実家へ顔を出すたびに、「お父さん、調子どう?しんどくない?」とたずねていましたが、いつも「大丈夫や!」と笑顔で答えていました。手術の1年後ぐらいには、尿道がんの手術も受けましたが、腹腔鏡下手術で5日間程の入院で元気に退院しました。
 
そうして、GISTの手術から約2年が過ぎようとした頃、ずっと服用し続けていたグリベックが、急にのめなくなりました。
 
~その4へつづく